スタエフで聞いた「コスパ最強の勉強」という言葉
ある日、何気なく聴いていたstand.fmで耳に残ったフレーズがありました。
お笑いコンビ・サバンナの八木さんが、自身の資格勉強について話していた回でのことです。
「数千円のテキストを買って、2年近く使えるんです。人気のゲームよりコスパがいいですよ」
さらっと語ったその言葉に、私は心の中で「ほんと、それ」と頷いていました。
八木さんは芸人でありながら、なんとファイナンシャル・プランナー1級(FP1級)の資格を持っているそうです。芸能の仕事の傍らでコツコツ勉強を積み重ねてきたその背景には、「勉強は重要だけど、緊急ではない」という考え方があるとのこと。だからこそ、日常生活の中で無理せずに継続できるよう、毎日の隙間時間をうまく活用していたそうです。
この話を聞いたとき、思わず自分自身の資格勉強と重ね合わせてしまいました。
テキストは何度も読み返すうちに理解が深まり、苦手な箇所に付箋を貼ったり、書き込みを加えたりすることで、どんどん「自分の道具」になっていく。そのプロセスは、確かに時間を忘れるほど夢中になれるものでした。そして何より、「自分は今、人生の意味ある時間を使っている」という充実感がありました。
もちろん、合格や成果がすぐに出るわけではありません。でも、時間をかけて知識が少しずつ定着し、ふとした日常の中でその知識が役立つ瞬間がある。そんなとき、「ああ、この時間の使い方は間違ってなかった」と感じるのです。
八木さんの言葉には、そんな“静かな確信”が滲んでいました。資格勉強は、決して派手ではないけれど、自分の人生をしっかり支えてくれる「最高の時間の使い方」なのだと、あらためて教えられた気がしました。
なぜ人は「すぐに結果が出るもの」に惹かれてしまうのか?
資格のテキストを繰り返し読み、少しずつ理解を深める──そんな地道な勉強法に楽しさを感じていた私でも、ふと気を抜くと「2週間で合格!」といった広告に目を奪われることがあります。
「そんな短期間で受かるなら、自分は何をぐずぐずやってるんだろう」
「自分は要領が悪いのかもしれない」
そんな焦りが胸の奥でざわざわと蠢き出します。
でも、これって実は私だけじゃない。
むしろ“人間である限り”誰しもがそうなってしまうようにできているんです。
心理学では「現在志向バイアス(Present Bias)」という言葉があります。
これは、将来得られる大きな報酬よりも、目先の小さな報酬を選びたくなる傾向のこと。
「2年後に確実に合格」より、「今週中にサクッと合格」
後者のほうがなんとなく魅力的に感じてしまうのは、このバイアスのせいです。
さらに、「損失回避バイアス」も影響します。
長期間頑張って不合格になるリスクを考えると、「それなら短期集中のほうがマシ」と考えてしまう。失敗したときのショックを小さく抑えようとする心の動きです。
加えて、SNSやYouTubeの世界では「最短」「最速」「効率化」といった言葉が絶対的な価値のように並びます。
結果を出した人だけが“可視化”され、地道な努力を続ける人は目に入らない。そんな情報環境にさらされていると、自分の歩みが遅く感じてしまうのは無理もないことです。
だからこそ、私はときどきこう言い聞かせます。
「焦っているのは、自分がダメだからではない。むしろ、そう感じるように世の中が設計されているのだ」と。
私たちが短期志向に惹かれてしまうのは弱さではありません。
それは“人として自然な反応”であり、それを理解した上でどう向き合うかが大事なのだと思うのです。
「すぐ結果を求めてしまう心」を読み解く5つの心理メカニズム
ここで少し、私たちの心が「短期で結果を出すこと」に惹かれてしまう理由を、心理学的にもう少し深掘りしてみたいと思います。単に「せっかちだから」では済まされない、人間の本能ともいえる心のクセが関係しています。
1つ目が「即時報酬バイアス(Present Bias)」。
未来の報酬より、今すぐの手応えに強く反応してしまう心理で、長期努力よりも“今すぐ成果”に飛びつきたくなるのは自然なことです。
2つ目は「損失回避バイアス」。
長期間努力して失敗するより、短期間で成果が出なければ「向いてない」で済ませた方がダメージが少なく感じる、という心の防衛本能です。
3つ目は「SNS的承認欲求」。
他人と比較されることが前提のSNSでは、「短期間で結果を出した人」が目立つ。地味に努力している人は目に入らず、自分が取り残されたように感じてしまう。
4つ目は「セルフ・ハンディキャッピングの回避」。
「やるだけやってダメだった」ことに直面したくない。だからこそ、「短期集中型」に挑戦し、ダメなら「時間がなかったから」と言える状況に安心するのです。
5つ目は「プロスペクト理論」。
不確実な長期投資より、確実に得をしそうな短期リターンに価値を置く、という人間の判断傾向です。
こうして見ていくと、私たちが「短期志向」に惹かれるのはむしろ自然なことです。
だからこそ、自分を責めるのではなく、「どう付き合うか」を考える視点が必要なのだと実感します。
「勉強が趣味」と言えるようになったのは、“課題の分離”を知ったから
「勉強が趣味なんです」──この一言を口にするのに、私は長い時間がかかりました。
そんなことを言えば「意識高い系」と思われるんじゃないか、周囲に変に思われないかと、どこかブレーキがかかっていたんです。
転機になったのが、アドラー心理学との出会いでした。
なかでも「課題の分離」という考え方は、私にとって本当に大きな気づきでした。
他人の評価は他人の課題。自分がどう生きるかは自分の課題。
たったそれだけのシンプルな言葉ですが、深く腑に落ちてからというもの、驚くほど心が軽くなりました。
人にどう思われるかを気にしてやめていたこと、心からやりたかったけど我慢していたこと。
そんなものに縛られる必要はなかったんだと、自分を許せた気がします。
だから、私は言えます。
勉強は、誰かに見せるためじゃなく、「自分を信じる時間」なんだと。
「試験勉強は最高の時間の使い方だった」と言い切れる今
ここまでお読みいただいて、「でも時間がかかりすぎるのでは?」「合格しなかったら無駄では?」と思われたかもしれません。
でも、私は心から思うのです。結果だけが価値ではない。
むしろ「自分と向き合った時間」こそが一番の収穫だった、と。
知識以上に、自分で決めて、自分で動いて、自分のペースで進めた時間が自信になりました。
50代という年齢であっても、むしろ今だからこそ、それを深く実感できています。
勉強は、静かだけど確かな“自分との対話”。
派手さはなくても、その積み重ねが、確かに自分を変えてくれたと断言できます。
2年かけてじっくり合格すること。
その過程の中にこそ、本当の価値がある──今ならそう言えます。
この記事を書いた人|ミライジュウ
メディア関連企業の業務部長。ラジオ演出30年の経験を経て、
「50代からでも“1円を生む力”は育てられる」と信じて発信中。
毎朝4時起きでランニング・筋トレ継続中。
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