厳しい環境は、誰かが用意してくれるものなのだろうか

最近、部長会で必ず出る議題があります。「どうすれば部下のスキルをもっと引き出せるか」「もっと高いレベルの人材を増やすために、厳しい環境を作ってあげるべきではないか」。効率化が求められ、36協定やコンプライアンスが重視される現代において、組織としてどのような負荷をかけるべきか、皆が頭を抱えています。

しかし、私は長年、この「上から与えられる厳しさ」という議論に、どこか違和感を覚えてきました。本当に、成長のための環境は他人が作ってあげるものなのでしょうか。厳しい環境というのは、自分で選んで、自分の判断で飛び込まないと、結局は身にならないのではないか。そんな思いが、私の胸の中で渦巻いています。

40年前の「3000m障害」という理不尽が教えてくれたこと

高校時代、私は陸上部で中長距離を走っていました。特に「3000m障害」という種目は、今のビジネスの現場以上に理不尽で過酷なものでした。巨大なハードル、そして避けることのできない水濠(すいごう)。勢いよく飛び込もうとしても、失敗すればドボンと水の中に沈む。シューズの中は一瞬で水でグチャグチャになり、濡れて滑るトラックの上で走りもボロボロになる。当時の私は「もう二度とやりたくない」と心底思いました。

しかし、50代後半になった今、あの3年間を振り返ると、やって良かったと確信します。当時はバイクやバンドといった「カッコいい流行」に流れる仲間も多く、陸上部は地味に見えたかもしれません。ですが、寡黙なやり投げの先輩や、仲間と試合会場で一つになって熱狂した景色は、今でも鮮明です。一生懸命やったからこそ見えた、あのドラマのような風景。一生懸命打ち込んだからこそ、あの過酷な3年間は、ただの苦い思い出ではなく、私の人生の骨子として焼き付いています。

人生の「免疫」としての挑戦

社会に出てから、私はラジオ番組のディレクターとして30年、ミキサーやテクニカルディレクターとして10年を過ごしました。今思えば、あのラジオの現場は、高校時代の3000m障害の連続でした。予期せぬトラブル、厳しい締め切り、現場の理不尽さ。しかし、私には「水濠にハマって靴が濡れても、それでも走り続けた」という、高校時代の免疫がありました。

自分で選んで飛び込んだ「厳しい環境」を耐え抜いた自信は、どんな困難に直面しても、最後には「これも面白いハードルの一つだな」と捉える力をくれました。他人に与えられた課題をこなすだけでは、この免疫は作られなかったはずです。

50代からの挑戦:コンテンツビジネスという新しい水濠

今、私は定年後を見据え、自分の力で収入を得るための「コンテンツビジネス」という新しい水濠に飛び込んでいます。50代で資格を取り、ブログを立ち上げ、AIを学び、ポッドキャストで発信する。これは会社から与えられた仕事ではなく、私自身が選んだ厳しい環境です。

コンテンツビジネスの本質は、過去の体験を「価値」に変換し、誰かに届けることです。私の陸上部の記憶が、今こうして誰かの心に届き、ビジネスの学びとなっているように。人生のどんな経験も、自分で選び、死に物狂いで向き合ったプロセスさえあれば、すべてが誰かのための「教材」に変わります。

「アホな先輩」にならず「愉しむプロ」になる

部下に対して、かつての私のように「泥だらけになって死に物狂いで走れ」と強要するのは、時代にそぐわないし、50代の管理職がやるべきことではありません。私が今、部長としてすべきことは、無理やり汗をかかせることではなく、彼らが自ら飛び込みたくなるような「絶妙に高いハードル」を設計することです。

残業時間を増やさなくても、知恵と工夫を凝らさないと超えられないレベルの高い仕事を提示する。そして、自分で選んで挑戦することの「面白さ」を背中で語る。厳しいからこそ面白い。そう実感できる環境を、組織の中に作ることこそが、私の役割だと考えています。

厳しい環境に飛び込む勇気が、最高の景色を見せてくれる

結局、厳しい環境に飛び込む勇気は、誰かに強要されるものではありません。自らの意志で選び取るものです。会社という安定したトラックをただ走るだけでなく、自分で勝手に水濠を掘って、それを華麗に飛び越えていく。そんな「愉しんでいる先輩」の姿を見せ続けることで、彼らにも気づいてほしいのです。

「厳しい環境は、君たちのすぐそばにある。それを自分で選んで、飛び込む勇気を持て。その先には、今の君には想像もつかない、最高の景色が待っているから」と。

私が今、必死に試行錯誤しているこの泥臭い挑戦のプロセスそのものが、いつか誰かの人生を切り拓くヒントになればと願っています。さあ、次はどんな高いハードルを一緒に跳びましょうか。

コメント