時間を奪われる時代に生きる私たち
YouTubeを開いたら気づけば1時間。SNSを見始めたら、もう夜になっていた。そんな経験を誰もがしているのではないでしょうか。いまの時代、私たちの時間は巧みに「奪われる」仕組みの中に置かれています。「奪う側になるか、奪われる側のままでいるか」。ネット社会ではこの二択が鮮明です。
孫子の兵法にある「善(よ)く戦う者は、人を致(いた)すも人に致(いた)されず」。これは「主導権を握る者は、人を動かすが、自分は動かされない」という意味です。まさに現代の私たちが抱える状況を言い当てています。情報発信の世界では「見る側」か「発信する側」かで大きな差がつきます。定年後に個人で稼ぐというテーマに置き換えても、「主導権を持つかどうか」が分かれ目になるのです。
孫子の言葉の意味と現代への翻訳
「人を致す」とは、こちらの意図で相手を動かすこと。「人に致されず」とは、相手の思惑に振り回されないことです。戦場においては「仕掛ける側」と「翻弄される側」に分かれました。現代社会でも同じで、情報を発信する側は流れをつくり、ただ受け取るだけの側は流されていく。
例えば、企業に属している間は与えられた仕事をこなすことで生活が成り立ちます。しかし定年後は肩書きも後ろ盾もなくなり、自分から仕掛けなければ「消費者として奪われる側」に戻ってしまいます。情報発信をする人、副業を形にする人、学びを成果に変える人は「致す側=主導権を握る側」になれる。孫子の言葉は2,500年前から「自分の立ち位置を意識せよ」と教えているのです。
リーダーシップは誰もが発揮できる
リーダーシップと聞くと「偉い人」「トップに立つ人」を思い浮かべるかもしれません。しかし増田弥生さんの著書『リーダーは自然体』では、リーダーシップは「存在の仕方」であり、誰にでも発揮できるものだと説かれています。
日本人は「ぐいぐい前に出ると行儀が悪い」と思われることを恐れ、控えめに振る舞いがちです。単一民族で島国という背景から「仲間外れになるのが怖い」という心理も強い。しかしインターネットやクリプト、宇宙開発といったネットワークが地球規模になった時代には、そうした引っ込み思案はむしろリスクになります。誰もが小さくてもリーダーシップを発揮できる。それが「奪われない側」に立つ第一歩なのです。
私の実体験:主導権を奪われない戦い
私が事業部にいた頃、とあるステージイベントを企画しました。会議には有名芸能プロダクションやレコード会社、出版社など、業界の大御所たちが顔を揃えていました。彼らの視線は冷たく、私は「若造扱い」されていました。当時40代後半でしたが、百戦錬磨のプロデューサーたちから見れば経験不足に映ったのでしょう。
強引に立場を奪おうとすれば反感を買う。弱気になれば、企画の主導権を簡単に奪われてしまう。そんな板挟みの中、私は冷静に、相手を立てつつも「譲れない部分は譲らない」姿勢を貫きました。
事前に準備した数字の裏付けや、今後の展開シナリオを示し、「この案に乗っていただければ安心です」と自信を持って提案し続けました。その結果、百戦錬磨の大御所たちも「この方向で進めよう」と同意してくれました。
この経験から学んだのは、主導権は肩書きや年齢で決まるのではないということ。徹底した準備と提案力があれば、立場を超えて主導権を握れる。そして一度主導権を握れば、美味しいところを持っていかれることなく、自分の企画を守れるのです。
なぜ人は受け身になりやすいのか
人が「奪われる側」に回りやすいのは偶然ではありません。心理学的には、SNSや動画視聴が生み出すドーパミン快楽回路が関係しています。見ているだけで心地よいから、つい時間を差し出してしまうのです。
社会学的には、日本特有の同調圧力や「孤立の恐怖」が背景にあります。誰かに従っていれば安心、安全。逆に一歩前に出れば叩かれる。そんな心理が「奪われる側」にいることを選ばせているのです。
しかし孫子が言う「人を致す」ためには、あえて居心地の悪い場所に立つ勇気が必要です。慣れないうちは緊張するかもしれませんが、そこからしか主導権は生まれません。
現代の事例:主導権を握る個人たち
現代には、まさに「人を致す」側に回った個人の事例が数多くあります。YouTubeで発信する個人クリエイターは、従来ならテレビ局や出版社に握られていた主導権を自分の手に取り戻しました。地方の中小企業がSNS発信で全国に顧客を持った例も珍しくありません。
さらにクリプトや宇宙開発といった新分野では、大企業よりも先に仕掛けた小規模チームが市場を動かすケースが多々あります。これらの事例が示しているのは、主導権を持つかどうかで成果が決定的に違うということ。現代は、個人が「発信する側」に回れるチャンスが歴史上もっとも広がった時代なのです。
定年後に働く私たちへの示唆
定年後は組織の肩書きがなくなり、会社という後ろ盾も消えます。そのときに「受け身」のままだと、ただの消費者に戻ってしまいます。しかし情報発信や企画立案を続ける人は「選ばれる側=主導権を握る側」に立ち続けられる。
孫子の「人を致すも人に致されず」は、定年後の生き方に直結する戦略論です。
「発信する」「仕組みをつくる」「誰かに依頼される存在になる」――こうした行動の積み重ねが、老後の生活の安定にもつながっていきます。肩書きではなく行動で主導権を握る。これが人生の後半戦を豊かにするための鍵なのです。
行動へのヒント・まとめ
主導権を握るために、特別な才能は要りません。明日からできる小さな行動があります。
・毎日10分でも、自分の考えをSNSやブログに書く
・SNSは「見る時間」を減らし「発信する時間」を増やす
・会議や家庭で、小さな場面でも主導権を握る練習をする
孫子が語った「致す者」とは、他人を力で押さえつけることではなく、自らの準備と信念によって流れをつくる人のことです。定年後に個人で稼ぐための本質もそこにあります。自分の時間と存在の主導権を奪われないこと。それこそが現代版の兵法と言えるでしょう。
この記事を書いた人|ミライジュウ
メディア関連企業の業務部長。ラジオ演出30年の経験を経て、
「50代からでも“1円を生む力”は育てられる」と信じて発信中。
毎朝4時起きでランニング・筋トレ継続中。
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