感情に振り回されて、あとから自己嫌悪になる――。
そんな経験は誰にでもあると思います。
たとえば、何か言われてカチンときた。
でも言い返せなくて、あとから「あのとき、ああ言えばよかった」と悶々とする。
あるいは、不安や焦りに飲み込まれて、大したことじゃないのに勝手に自分を責めてしまう。
私も、そういう場面で何度も感情に翻弄されてきました。
でもあるとき、「感情のラベルを貼る」という考え方に出会って、少しだけ世界の見え方が変わったのです。
自分の感情に振り回される私たち
多くの人は、感情を「起きてしまった反応」として捉えています。
怒りが湧けば怒る。
不安を感じたら不安になる。
悲しくなったら泣く。
これは自然なことですが、そのまま感情に流されてしまうと、冷静さを失ってしまいます。
しかも、そのあとに残るのは後悔です。
「なんであんな言い方をしてしまったんだろう」
「またイライラしてしまった」
「こんな自分、ダメだな」
ここで厄介なのは、「感情を感じた自分」を否定してしまうこと。
本当は、感情そのものに善悪はないのに、出てきた感情を悪者にしてしまうんです。
それが、自己否定や無力感を生み出すサイクルの始まり。
でも、感情は「なくすべきもの」でも「反応すべきもの」でもない。
もっと穏やかに、かつ主体的に扱う方法があります。
“感情にラベルを貼る”という考え方
それが、「感情にラベルを貼る」という方法です。
これは心理学やマインドフルネス、さらには脳科学でも注目されている方法で、「今感じている感情に“名前をつける”」という、とてもシンプルな行為です。
たとえば――
- 「あ、いま自分は“怒り”を感じてるな」
- 「これは“不安”のサインかもしれない」
- 「もしかすると、“承認されたい気持ち”があるのかも」
といったように、湧き上がる感情に対してただ一言、名前を与えるだけ。
そうすると、感情との間に少し距離が生まれます。
これが、メタ認知と呼ばれる「自分の状態を客観視する力」の発動です。
人は、感情のまま行動するときは「反応」になりますが、感情をラベル化するだけで「選択」できるようになる。
これは、行動の自由度を広げる大きな一歩です。
実際にやってみた私の体験
ある日のこと。
会議の場で、私が進行を担っていたときのことでした。
ある案を進めようとした瞬間、想定外の強めの口調で否定された。
「え? いまの言い方、何?」
一瞬で心の中に“怒り”が湧きました。
そのときの私は、返す言葉もなく「わかりました」とだけ答えて、その場を終えました。
でもその夜、モヤモヤは残ったまま。
私はジャーナリングで感情を書き出してみました。
すると出てくる、出てくる…「悔しい」「腹が立つ」「なんであんな言い方されなきゃいけないのか」。
ところが、書き出したあとにふと気づいたのです。
「ああ、自分は“否定された怒り”じゃなく、“思い通りにいかなかった苛立ち”を感じていたのかもしれない」と。
もっと言えば、「ちゃんと準備してきた自分を認めてもらえなかった寂しさ」も混じっていた。
そこに名前をつけるだけで、感情が落ち着きました。
そして、こう思えるようになったのです。
「次は、相手の立場も想定した上で、もう少し共感を含んだ伝え方をしよう」
「“正しさ”だけじゃなく、“受け入れられやすさ”を考えてみよう」
このとき初めて、感情が“反応”ではなく、“学びの材料”になったと感じました。
感情に名前をつけるだけで、人生の手応えが変わる
感情は、人生を豊かにするための大切なセンサーです。
でも、そのセンサーの声をうまく聞き取るには、「今、自分は何を感じているか」に気づくことが必要です。
その第一歩が、「ラベルを貼る」というシンプルな習慣。
怒り、苛立ち、不安、焦り、嫉妬、期待、虚しさ、喜び、誇り――
感情には、たくさんの顔があります。
それぞれに名前を与えるだけで、あなたの思考は深まり、選択肢は増え、自己理解は格段に進みます。
感情をコントロールしようとするのではなく、観察することから始めてみる。
それだけで、人間関係、仕事、自己成長のあらゆる場面で、少しずつ「自分の軸」ができてきます。
まずは今日、何か感情が動いた瞬間に、
心の中で一言、こうつぶやいてみてください。
「これは、“○○”という感情だな」と。
その習慣が、きっとあなたの思考を深くしていきます。
この記事を書いた人|ミライジュウ
メディア関連企業の業務部長。ラジオ演出30年の経験を経て、
「50代からでも“1円を生む力”は育てられる」と信じて発信中。
毎朝4時起きでランニング・筋トレ継続中。
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